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Red Rose Speedway/レッド・ローズ・スピードウェイ

04Red Rose Speedway

Red Rose Speedway/Wings
レッド・ローズ・スピードウェイ/ポール・マッカートニー&ウイングス


録音:1972年
発売:1973年5月
チャート:イギリス5位/アメリカ1位(3週)



3月発売のシングル「マイ・ラブ」がイギリス6位/アメリカ1位(4週)の大ヒット。そのすぐあと5月にリリースされた「レッド・ローズ・スピードウェイ」は内容も前作に比べればはるかに洗練された完成度で、ボロクソの評価だった前作「ウィングス・ワイルド・ライフ」の汚名を返上して、ポールのその後の大飛躍へのきっかけにもなった。

ちなみに6月発売のジョージのアルバム「リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」も、イギリス8位/アメリカ1位(5週)と大ヒットしていた。

そもそもポールはこのアルバムを2枚組として出したいと考えて30曲以上録音、そこから9曲に絞り込んでいて、この時のセッションでは前年12月にシングルでリリースされた「ハイ・ハイ・ハイ」と、やはり大ヒットした「007 死ぬのは奴らだ」も含まれていた。


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1.ビッグ・バーン・ベッド - "Big Barn Bed"
2.マイ・ラヴ - "My Love"
ポールらしいラブ・バラードで愛妻リンダにささげた

3.ゲット・オン・ザ・ライト・シング - "Get On The Right Thing"
4.ワン・モア・キッス - "One More Kiss"
5.リトル・ラム・ドラゴンフライ - "Little Lamb Dragonfly"
6.シングル・ピジョン - "Single Pigeon"
7.ホエン・ザ・ナイト - "When The Night"
8.ループ - "Loup (1st Indian On The Moon)"
9.メドレー - Medley
 1.ホールド・ミー・タイト - "Hold Me Tight"
 2.レディ・ダイナマイト - "Lazy Dynamite"
 3.ハンズ・オブ・ラヴ - "Hands of Love"
 4.パワー・カット - "Power Cut"

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Wild Life/ワイルド・ライフ

03wildlife.jpg

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Wild Life/Wings
ワイルド・ライフ/ウイングス


録音:1971年8月
発売:1971年12月7日
チャート:イギリス11位/アメリカ10位

ソロ2作が大ヒットしたものの、一般的に酷評されていたポールが、名誉挽回を狙って結成したグループ、〝ウィングス〟のファーストアルバム。ただし結果はこれまで以上に悪いものだった。

縁バーはポールとリンダ、それに「ラム」にも参加していたドラマーのデニー・サイウェルと、元ムーディー・ブルースのデニー・レイン。バンド名はリンダが3人目の子供を妊娠中に思いついた〝天使の翼〟というフレーズからとったもの。アルバム発売の2ヶ月前にイギリスの音楽雑誌にバンド名を発表、翌月にはバンド結成記念パーティーを開くなど、やる気満々だった。

そのわりにはレコーディング期間はほとんど3日間!収録曲はバンドのリハーサルのようなパッとしない作品が多い。

ジャケット写真はジョン・レノンのファーストアルバムとそっくり。まくれたスカートからのぞくリンダの太ももがどうしても気になる。


wings-wild-life.jpg




[1] マンボ Mumbo

[2] ビップ・バップ Bip Bop

[3] ラヴ・イズ・ストレンジ Love Is Strange
オリジナルはミッキー&シルビアのデュオによる1956年のヒット曲。ポールがオリジナルアルバムにカバー曲を収録するのはとても珍しい。シングルカットの予定もあったがあえなくボツ。

[4]ワイルド・ライフ Wild Life
ジョンの平和活動を意識したかのような、環境保護を訴えた曲。ほとんど話題にならなかった。

[5] サム・ピープル・ネヴァー・ノウ Some People Never Know
最初にレコードで発売されたときにはタイトルがついてなかった曲。

[6] アイ・アム・ユア・シンガー I Am Your Singer

[7] ビップ・バップ・リンク Bip Bop Link

[8] トゥモロウ Tomorrow
イエスタデイが名曲扱いされたから作ったようなトゥモロウ。ポールらしいなんとも単純だけど、このアルバムの中で一番人気のある曲。

[9] ディア・フレンド Dear Friend

[10] マンボ・リンク Mumbo Link
これも最初のレコードではタイトルがなかった。



Wings Wild LifeWings Wild Life
(1996/07/23)
Wings、Paul Mccartney 他

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Ram ラム

ram.jpg

Ram/Paul & Linda McCartney
ラム/ポール&リンダ・マッカートニー


録音:1970年10月
発売:1971年5月28日
チャート:イギリス1位(2週)/アメリカ2位

ポールとリンダの共同アルバムで、リンダは全編にコーラスで参加していて数曲でデュエットもしている。前作よりも時間をかけてレコーディングが行われ、セッションミュージシャンやオーケストラが参加しているただけあって演奏は格段に充実。セールス的には大成功したものの、ローリング・ストーン誌から〝〟60年代ロックの腐敗の極めつけ〟と酷評されるくらい当時は評判の悪いアルバムだった。


「マッカートニー」 発売から半年たった1970年10月、リンダと一緒に新しいアルバムのレコーディングのためにニューヨークへ渡ったポールは、まずレコーディング・メンバーのオーディションを行う。そしてドラムスに(後のWingsのメンバーとなる)デニー・シーウェル、ギターにセッション・ミュージシャンのデビッド・スピノザとヒュー・マクラッケンの二人を迎えてアルバム制作を開始。

レコーディングはたっぷり4ヶ月間にわたって続けられ、21曲がレコーディングされた。この中から12曲がアルバムに収録。「Another Day/Oh Woman, Oh Why)」の2曲はシングルで発売されてイギリス2位、アメリカ5位の大ヒットとなった。
アルバムもアメリカではトップ10内に24週間もランクされるロングセラーとなり、アメリカのみでシングル・カットされた 「Uncle Albert/Admiral Halsey」 はなんとナンバー・ワン・ヒットしただけでなくグラミー賞(ベスト・アレンジ賞とボーカリスト賞)まで受賞!

とまぁ飛ぶ鳥を落とすかのような勢いだったにも関わらず、評論家に叩かれっぱなし。これはビートルズ解散の責任がポールのせいだと思い込んだ評論家の意地悪もあったのかもしれない。



ram-2.jpg
今回も写真はリンダ。


ram ura
このテキトウっぽいコラージュも味があるといえばあるような。


収録曲

[1] トゥ・メニー・ピープル - Too Many People
〝チャンスを掴んでいたというのに、君は自分でぶち壊してしまったよね。それが君の過ちの始まりなのさ。折に触れては説教ばかりやりたがる奴が多いよな〟という歌詞は、ジョン・レノンに対する批判とされている。
  
[2] 3本足 - 3 Legs
「僕の犬は3本足、だから走れっこない」と、自分以外の3人のビートルズを3本足の犬にたとえた歌詞がとても皮肉。 
 
[3] ラム・オン - Ram On
  
[4]ディア・ボーイ - Dear Boy
  
[5] アンクル・アルバート〜ハルセイ提督- Uncle Albert/Admiral Halsey

[6] スマイル・アウェイ - Smile Away
  
[7] 故郷のこころ - Heart Of The Country
  
[8] モンクベリー・ムーン・デライト- Monkberry Moon Delight
  
[9] 出ておいでよ、お嬢さん- Eat At Home
  
[10] ロング・ヘアード・レディ- Long Haired Lady
  
[11] ラム・オン - Ram On
  
[12]バック・シート - The Back Seat Of My Car



ラムラム
(2012/05/30)
ポール&リンダ・マッカートニー

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ラム スーパー・デラックス・エディション(完全生産限定盤)(DVD付)ラム スーパー・デラックス・エディション(完全生産限定盤)(DVD付)
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ポール&リンダ・マッカートニー

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McCartney マッカートニー  

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McCartney/Paul McCartney
マッカートニー/ポール・マッカートニー


録音:1969年12月~1970年3月
発売:1970年4月17日
チャート:イギリス2位/アメリカ1位(3週)

ポール・マッカートニー初のソロアルバム。総ての楽器をポールが一人で演奏(何曲か妻のリンダがコーラスで参加)。作詞、作曲もポール自身。楽曲も演奏もラフで、なんだかデモテープを聞かされているような気がしてくる。それでも宝石の原石のようなかけらがいっぱいつまっているとでもいうか、不思議と何度でも聞けてしまうアルバム。アルバムからのシングルカットもないし地味といえば地味。こんなアルバムがリリースできたのも時代のなせる業なのか。


ビートルズが事実上解散状態となり、やる気をなくしていたポールはスコットランドの自宅農場でしばらく引きこもっていた。しばらくして気を取り直した彼はロンドンの自宅に4トラックのマルチトラック・レコーダーを持ち込んでレコーディングを開始。この頃フィル・スペクターが〝ゲットバック・セッション〟のミックスダウンを行っていることをポールは知らなかった。

完成したアルバム「マッカートニー」を発売しようとしたポールと、フィル・スペクターが仕上げた「レット・イット・ビー」の発売を優先させようとするマネージャーのアラン・クラインとの間でひと悶着となり、最終的にポールのソロが1ヶ月先にリリースされることになる。

「マッカートニー」発売の1週間前にポールはビートルズ脱退を発表。そんな話題性もあってセールス的には大成功となったしたものの、ほとんど個人が趣味でつくったようなシンプルな音作り、収録曲の約半分がインストゥルメンタルということもあって評判は散々だった。

ジャケットのサクランボ写真はカメラマンだった妻リンダ・マッカートニーによるもの。独特の雰囲気があってとても印象的。裏ジャケットには生まれて間もない長女メアリーを抱いたポールの写真。

paul-mccartney.jpg
ジャケット裏




収録曲

[1] ラヴリー・リンダ - The Lovely Linda
リンダへの想いを歌った小品で機材のテストも兼ねて最初にレコーディングされた曲。ヴォーカル、アコースティック・ギター、パーカッションの代わりに本を叩いた音で構成されている。

[2] ザット・ウッド・ビー・サムシング - That Would Be Something

[3] バレンタイン・デイ - Valentine Day
このアルバムにはインストルメンタルが5曲もあり、ほとんどが機材のテストを兼ねて録音された実験的な作品ばかり。ここではポールのギターソロが堪能?できる。

[4] エヴリナイト - Everynight
ポールが得意な牧歌的な曲。「ユー・ネバー・ギブ・ミー・ユア・マネー」そっくりのメロディーが途中で出てくる。

[5] 燃ゆる太陽の如く/グラシズ - Hot As Sun/Glasses
「燃ゆる太陽の如く」はポールが10代の時に作ったというインストルメンタル曲。メドレーの「グラシズ」は最後にほんのちょっと入っているだけ。こういう

[6]ジャンク - Junk
アコースティック・ギターの弾き語りに近いけれど、アルバムの代表曲ともいえる名曲。「ホワイトアルバム」の準備期間に作られた曲でそのときのデモが「ザ・ビートルズ・アンソロジー3」に収録されている。このアルバムの大半が「ジャンク」=ガラクタ、というのはまさかシャレじゃないだろうけど。

[7] 男はとっても寂しいもの - Man We Was Lonely
リンダとのデュエット曲。

[8] ウー・ユー - Oo You
とても単調な曲。このアルバムは他にもそんな曲が多いのに、なぜか何度でも繰り返し聞けてしまうから不思議。

[9] ママ・ミス・アメリカ - Momma Miss America
別々の曲をメドレー仕立てで1曲にするという、ポールが得意とすることになる手法で作られたインストルメンタル曲。ここでもポールのギターソロがたっぷり堪能できる。

[10] テディ・ボーイ - Teddy Boy
〝ゲット・バック・セッション〟でも録音されて「レット・イット・ビー」ではボツにされた曲。

[11] シンガロング・ジャンク - Singalong Junk
「ジャンク」のインストゥルメンタル版。

[12]恋することのもどかしさ - Maybe I'm Amazed
このアルバムの白眉ともいえるバラード曲。演奏のじょぼさ(特にリードギター)を熱唱で完全にフォローしてしまうところはさすがというべきか。この曲がこの位置にあることで、中途半端な曲だらけのこのアルバムがとてもバランスよくしまっているように感じてしまう。

[13] クリーン・アクロア - Kreen-Akrore
アルバムのしめくくりはポールのドラムソロがたっぷり(^-^)堪能できるインストルメンタル。最後の最後に「恋することのもどかしさ」のフレーズが入ることで、コンセプトアルバム的な印象が残る。実際には何も考えてなかったような気がするけど。。。



MccartneyMccartney
(2011/06/09)
Paul Mccartney

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LITTLE GAMES リトル・ゲームス

LITTLE GAMES 


LITTLE GAMES / THE YARDBIRDS
リトル・ゲームス / ザ・ヤードバーズ


1967年8月 アメリカのみの発売。
イギリスでは1985年になってようやくリリースされた。


ジミー・ペイジがヤードバーズでリーダーシップを取って発売された唯一のアルバム。
CDではシングルのみの発売曲がボーナストラックとして収録されていて、ヤードバーズ時代のペイジはこの1枚で全て押さえられる。

キース・レルフのボーカルは貧弱だし、収録された楽曲はバラバラ。全米チャートでは80位とお粗末でイギリスでの発売はなし。ともすれば闇に埋もれてしまっても不思議はないアルバム(実際埋もれてた)だけど、レッド・ツェッペリンに変貌する直前のバンドの演奏が、ここには間違いなく収められている。

〝White Summer〟はツェッペリンのライブでたびたび演奏された曲のスタジオテイク。
〝Glimpses〟ではヴァイオリンの弓を使用。
〝 Think About It〟のギターソロはほとんど"Dazed and Confused"のソロとそっくり。それ以外にもペイジのギター・ソロはところどころツェッペリン時代を彷彿させる。

そういった意味ではロック音楽史上、十分に価値のあるアルバムともいえる。

サイケデリック・ムーブメントのど真ん中だけあってジャケットもサイケ調。ただしデザインはダサい。同じサイケデザインでも〝Yellow Submarine〟のジャケットを横に並べると、〝Yellow Submarine〟がとても素敵に見えてしまう。


新生ヤードバーズとしてはこのアルバム以外に

1967年3月に第1弾シングル〝Little Games〟全米51位
1967年7月に第2弾シングル〝Ha Ha Said The Clown〟全米28位
1967年10月に第3弾シングル〝Ten Little Indians〟全米96位
1968年3月に第4弾シングル〝Goodnight Sweet Josephine〟圏外

をリリース。ライブ活動はそれなりに行っていたものの1968年7月7日のコンサートを最後に、キース・レルフ(vo)とジム・マッカーティ(ds)が脱退。クリス・ドレヤ(b)がメンバー探しの途中でカメラマンに転向するとして脱退してヤードバーズは事実上消滅して、ペイジはレッド・ツェッペリンとしての活動をスタートした。



収録曲
[1] Little Games
[2] Smile On Me
[3] White Summer
[4] Tinker Tailor Soldier Sailor
[5] Glimpses
[6] Drinking Muddy Water
[7] No Excess Baggage
[8] Stealing Stealing
[9] Only The Black Rose
[10] Little Soldier Boy

BONUS TRACKS:
[11] Goodnight Sweet Josephine (UK Version)
[12] Puzzles
[13] Ha Ha Said The Clown
[14] I Remember The Night
[15] Ten Little Indians
[16] Think About It
[17] Goodnight Sweet Josephine (USA Version)
[18] Together Now



リトル・ゲームスリトル・ゲームス
(2008/12/10)
ヤードバーズ

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シューベルト 弦楽四重奏曲全集

弦楽四重奏曲全集


1971年~1975年
メロス弦楽四重奏団

フランツ・ペーター・シューベルトの弦楽四重奏は15番までというのが定番になっているものの、未完成の作品を含めると約20曲あって、そのうち3曲は完全に失われてしまった。このCDは2楽章までの5番と、1楽章しかない12番の他に未完成の1曲を加えて16曲収録。
通して聞くと379分もあるので、シューベルトの弦楽四重奏はこれを持ってるだけで十分かなと。



シューベルトの父親はチェロを趣味で弾いていて、3人の兄もヴァイオリンや何かしらの楽器を演奏出来た。なので日曜日と祝日ごとに、2人の兄がヴァイオリン、父がチェロ、自分がヴィオラを受け持って、自宅で弦楽四重奏の演奏を行っていた。教員だったシューベルトの父親は給料が少なくてとても貧しい生活を送っていたけれど、家族の仲はとても良かった。16歳になる1813年までの7曲と1815年までの4曲の弦楽四重奏曲は、そんなシューベルトの家族が楽しんで演奏するために書かれたもの。

弦楽四重奏の中でも特に有名な「14番〝 死と乙女〟」をはじめとする1820年以降の数曲は、家族とは離れて音楽仲間たちと付き合うようになってからの作品なので、明らかにレベルは違ったものになっている。


弦楽四重奏曲第1番 ハ短調(変ロ長調) D18
1812年作曲
出版されたのは1890年!になってからようやく全集に収録。

15歳のときの作品で、たぶん寄宿学校で演奏するために書かれたほかに、家族でも演奏したと思われる。チェロ担当の父親はよく音を外すので、シューベルトは控えめに注意していたと言われている。


弦楽四重奏曲第2番 ハ長調 D32
1812年9月作曲

1890年に出版された旧シューベルト全集に収録したときには、第1楽章と第3楽章しか楽譜が残っていなかった。ところが1950年になってスウェーデンで紛失したと思われた2つの楽章が発見された。作曲から140年以上たった1954に出版された新しい全集に収録、翌年ロンドンのBBC主催のコンサートで初めて人前で演奏された。


弦楽四重奏曲第3番 変ロ長調 D36
1812年の11月19日に作曲を開始して1813年の2月21日に完成

この曲を書いた頃、シューベルトはアントニオ・サリエリのところに週2回作曲のレッスンに通っていた。サリエリはシューベルトが聖歌隊のテストを受けた時から彼のことを気に入って、いろいろと面倒を見ていた。この極の自筆譜には、そんなサリエリが直接書いた書き込みが残っている。


弦楽四重奏曲第4番 ハ長調 D46
1813年3月作曲

3番を書いてすぐにシューベルトはこの曲に着手。あくまでも古典的な曲作をしつつ、作品には少しづつ個性が出始めてくる最初の作品。


弦楽四重奏曲第5番 変ロ長調 D68
1813年8月作曲

2つの楽章しか残っていない作品で、残り2つの楽章は失われてしまった。シューベルトが2つの楽章だけで十分と考えたという説もあるが根拠はない。規模はすこしづつ大きくなっているが、同じモティーフが単純に繰り返されて冗長な楽曲になったともいえる。


弦楽四重奏曲第6番 ニ長調 D74
1813年8~9月作曲

1928年に発見されたこの曲の自筆譜には〝サリエリの弟子、フランツ・シューベルトによる3つの弦楽四重奏曲〟と書かれているが、他の2曲が失われたのか初めから作曲されなかったのかは分かっていない。楽譜には〝父親の命名の日のために〟とも書かれていて、チェロのパートがとても簡単なのは、父親がすぐに弾けるようにとの気遣いかと思われる。


弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 D87
1813年11月作曲

シューベルトが書いた寄宿学校時代の最後の作品で、これまでの総決算であるかのように充実した内容になっている。そのため第一次世界大戦の頃に自筆譜が見つかるまで、1824年の作品と思われてきた。チェロのパートはシューベルトが家族のために書いた特徴でとてもやさしいにも関わらず、誰もシューベルト後期の作品として疑われることはなかった。それだけ優れた作品とも言える。


弦楽四重奏曲第7番 ニ長調 D94
1814年作曲

1813年に声変わりして聖歌隊を失格になったシューベルトは、寄宿学校も辞めて実家に戻った後、教員の資格を取るために養成所に入った。それでも家族の仲は相変わらずで、皆で演奏するための弦楽四重奏の作曲は続いた。


弦楽四重奏曲 ハ短調 D103
1814年4月作曲

第1楽章しか残っていなくて、しかも終わりの部分が欠如している作品。未完成ではなくて、シューベルトの自筆譜があちこちに転々とするうちに失われてしまったと考えられている。1939年に第1楽章の最後の140小節をアルフレート・オレルが曲として成立するように補筆している。


弦楽四重奏曲第8番 変ロ長調 D112
1814年9月作曲

第1楽章を4時間半で書いたと自筆譜に記載されている。1つの楽章を4時間半というのは驚異的なスピードだ。

ロシアから愛をこめて

From Russia, With Love (1957)


【ストーリー】
ソビエト連邦情報機関の最高幹部会議は、西側の情報機関に打撃を与えるため、スメルシュの手によってイギリス秘密情報部の情報部員ジェームズ・ボンドをはずかしめて殺す計画をたてる。チェスのモスクワ選手権タイトル保持者でスメルシュ企画課長のクロンスティーンが立てた計画に基づき、第2課長ローザ・クレッブ大佐は、タチアナ・ロマノーヴァ伍長を囮に仕立てた。

ボンドに夢中になったソ連職員タチアナが、暗号解読器「スペクター」を手土産に亡命を望んでいるという連絡が入り、ボンドはイスタンブルへ派遣された。トルコ支局のケリムと合流したボンドは、彼の協力のもとタチアナと解読器を確保。ボンドはタチアナと夫婦を装いオリエント急行に乗り込んで国外脱出を図るが、一緒に列車に乗ったケリムは何者かに殺されてしまう。そしてスメルシュの放った刺客グラントがボンドを罠にはめる。


【】
作品の冒頭3分の1はロシアの防諜部隊スメルシュ(SMERSH)の長々とした描写で、ジェイムズ・ボンドは登場しない。フレミングは


オリエント急行

フルトヴェングラーの魔笛

モーツァルト:魔笛 全曲モーツァルト:魔笛 全曲
(2000/04/19)
ヴィルヘルム・フルトベングラー、ウィーン国立歌劇場合唱団 他

商品詳細を見る


1951年のライブ録音

フルトベングラーはオペラの録音を「フィデリオ」「トリスタンとイゾルデ」「ワルキューレ」の3作しかスタジオでは録音していなくて、ライブでコーディングもLPレコードが出来た1948年になってからがほとんど。

その1948年から亡くなる1954年までフルトベングラーは毎年ザルツブルクの音楽祭でオペラを指揮していて、ラインナップは以下の通り。

1948年・・「フィデリオ」
1949年・・「フィデリオ」「魔笛」
1950年・・「魔笛」「フィデリオ」「ドン・ジョバンニ」
1951年・・「魔笛」「オテロ」
1952年・・ ※リハーサル中に肺炎倒れて演奏出来ず
1953年・・「ドン・ジョバンニ」「フィガロの結婚」
1954年・・「ドン・ジョバンニ」「魔弾の射手」


とまぁ、モーツァルトとベートーベンが主なラインナップだったようで、このCDは3回目の「魔笛」を指揮したときの演奏。

パミーナ=ゼーフリート、タミーノ=デルモータ、パゲーノ=クンツ、夜の女王=リップ、ザラストロ=グインドルというキャストは、この当時は世界的に有名だった歌手たちばかりだそうで演奏の評判もとても良かったらしい。

音は小さいヘッドホンで聞くとちょっと厳しいど、小さなCDプレイヤーだとそれほど気にならなかった。この時代のライブ録音の特徴というか、演奏中でもお構いなしに入る観客の咳き込みがどうしても耳障り。演奏が終わってからの拍手は短めに編集してるみたい。

そんな細かいところを気にしなければ、巨匠最晩年の演奏としてはなかなかい感じで聞けたと思う。


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